石堂動物病院

院長のひとりごと

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2011年 04月

2011.4.19(火)

今だから話せる東日本大震災の日の出来事…

大地震と津波のあった東日本大震災の日,3月11日,金曜日,
私は横浜で開催される内科アカデミーに参加するための新幹線にのって新横浜に向かっていました,
3時ちょっと前です.新幹線が駅でもない所で突然停まりました.
車掌さんは「東北地方での地震の影響による停電で,緊急停車いたしました」とアナウンス,
何が起こっているのかよくわからないまま新幹線に閉じ込められた状態が延々と続きました.今回の学会,金曜日夜の皮膚科学会の後の横浜中華街での食事を楽しみにしていたのですが…,
「このままじゃ,集合時間に間に合わないぞ…,残念…,ついてね〜」
などと暢気に思っていました.
だって,新幹線の中では震災の情報なんかまったくわからない状態ですから,

新幹線が緊急停車して,その後ちょっとずつ動いて,新横浜に着いたのが午後10時を廻った頃,約7時間以上は新幹線内で缶詰状態でした.
新幹線を降りて,まずは,コンビニで食べるものを買って,ホテルのロビーでこっそりコンセントをお借りして携帯電話を充電しながら,遅くなった夕食(コンビニで買ったパンですが)を頂きました.

新横浜に着いたものの,そこから先の在来線はすべて動いていません.
宿泊予定だった横浜のホテルには電話がつながりません.
タクシーで移動しようと思っても,タクシー待ちは3〜4時間とのこと,
当然,新横浜のホテルは満杯で宿泊不可,
さて,今晩,どうするか…

新横浜の駅周辺は「帰宅困難難民」と言われる人がいっぱいです.
1時間ばかり駅の周辺をぶらぶらしながら思いついたことは
「ラーメン食べよ!」です.
でも,こんな時に同じ境遇の人が思うことはみんな同じみたいで,どこのラーメン屋さんも何故か,長蛇の列が…(笑),ラーメンは諦めました.
さて,ほんとうに今晩どうするか………,

こんな時は,どこかに避難センターがあるはず…?
そんな建物といえば,横浜アリーナか日産スタジアムだろうか…
屋根のあるのは横浜アリーナか…
などと勝手に思い,横浜アリーナに向かいました.
横浜アリーナは避難所として開放されており,そこには帰宅困難難民や私の様な旅行者がロビーにいっぱいです.
今夜のねぐらをここと決めて,ロビーのテレビを見て…,
すごいニュース映像を見て,始めて何が起きていたのか知りました.
携帯カイロと毛布を貸していただき,眠れぬ夜(そばに居た「いびき」爆音の人のせいか…)を過ごすこととなりました(写真).
私も大震災の被害者のひとりになったのかも…???

翌朝一番に,福島の友人に電話をかけました,
携帯はなっていますが出ません.携帯が動いているならおそらく大丈夫だろうと思いながらも,何回も電話をかけたのですが連絡がとれません…,

横浜の海沿いのホテルで行われる内科アカデミーも中止だろうと勝手に決めて京都に帰ることに.新幹線はのきなみ2時間待ちとのことですが,チケット購入時に運良くキャンセルが出たので15分後の新幹線に乗ることができ,お昼前には嵯峨に到着です.
その時,福島の友人から携帯に電話が入りました.
病院はめちゃくちゃになったが,家族もスタッフも無事とのこと.
よかった〜〜.

その後は,1週間後の京都で開催予定だった獣医とVT(看護婦さん)の京都地区大会の中止に伴う事務作業やら,JBVP理事会の仕事などでハードな10日間ほどを過ごしました.

幸いなことに,私の東北在住の友達はみんな無事でした.
そして,彼らは被災動物の保護活動を開始しています.私達はその後方支援(支援物資の提供,募金活動,チャリティーセミナーの開催など)として出来ることをこれからも行っていく予定です.

そんなとんでもない事がおきたのですが,病院の前の桜は今年もきれいに咲いています.そして,いつものように時間が流れていきます.
これって,少し哲学的なのかも??

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