石堂動物病院

院長のひとりごと

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2011年 05月

2011.5.30(月)

京都街角探検隊(7)

前回は,日本人として最初に人体解剖を行った場所にあたる石碑を紹介しましたが,今回はもっとすごいですよ!(私的にはですが…)

地元の嵯峨に昔から「嵯峨の釈迦堂」さんと呼ばれているお寺があります.正式名は「清涼寺」と言って浄土宗の由緒正しきお寺だそうです.
(このお寺,「生の六道」やら「一切経臓」「豊臣秀頼の首塚」「夕霧の墓」などなど,ちょっと変わったものがいくつもあるのですが,それはまた今度ということで)

お寺の本尊の釈迦如来さまは国宝でとっても有名だと言うことです.
この本尊さまは口燃(ちょうねん)上人が寛和元年(985年)に中国の釈迦如来像を模刻(要するにコピー)して日本に持ち帰ったものでした.
昭和28年にこの釈迦如来像の学術調査が行われました.本尊の後の彫刻をはずしてみると本尊の体内から絹で作られた五臓六腑(写真)が発見されたそうです.それぞれの内蔵に見立てた布製の作り物が…
何となく,その形,色合いも本物の内蔵臓器の特徴を示しているように思えます.
また,五臓のまわりは血管,神経を表す絹網や血,体液,肉を表してるおびただしい五色の絹布も詰められていたそうです.

何故すごいか?
今から1000年以上も前に,人間の体の中がどのようになっているかを知っていた人たちが居たということです.
今,流行のテレビドラマ「JIN-仁」の世界が300年ほど前の世界ですよ.それよりず〜〜っと,ず〜〜っと前の中国に人の体の中の事を知っている人たちが居たということに驚きを感じませんか?

さすが!「中国4千年の歴史」って言われるだけのことはあるな.

でも,何故,当時の中国人は人体の中身を知っていたのだろうか?

もしかして,古代の中国人の一部は,宇宙人だったのかも……(?)
はたまた,この1000年もの昔に「JIN-仁」の南方先生みたいにタイプスリップした現代人が居たということか…

2011.5.3(火)

京都街角探検隊(6)

1年以上ご無沙汰の京都街角探検隊です.

今回の街角発見の場所は,JR二条駅少し南の三条商店街を少し入った所にある「武信稲荷神社」(この神社,坂本龍馬とおりょうの縁結びにゆかりがあると言われているそうな…)のすぐ近く,マンションみたいな建物の入口に「何故こんな所に」って感じで見つけました.
それは「山脇東洋観臓地(やまわきとうようかんぞうのち)」なる石碑です(写真).

山脇東洋って人は300年程前の江戸時代後期の医学者です.
幕末の京都のこの地には六角獄舎という刑務所があったそうです.
そこで死亡した囚人を日本で初めて人体解剖した場所だそうです.その時の解剖の様子を弟子の写生画といっしょにして「臓志(ぞうし)」という日本初の人体解剖書を作ったそうです.
今,テレビドラマで人気のある「JIN-仁」の時代に人体解剖を行ったわけですね.そう考えると,やっぱりすごいことを行ったと思うでしょ?

日本の医学会にとってすごい功績を残したイベントのように思うのですが,案外質素な石碑ですね.私は仕事柄,大学時代には動物解剖などを行ってきましたから「解剖」というものに慣れていますが,一般の人には現実離れしているので誰も興味を示されないのでしょうね.

この時の人体解剖というものは,「人の体の中はどんな風になっているのだろう?」という純粋で強い興味から行われたものだと思います.私も子供の頃に,「このおもちゃの中はどうなっているの? 何故動くの?」ってよく思っていました.
そして多くのおもちゃをバラバラにした記憶があります.
でも,元にもどったおもちゃの数は…(悲).

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