猫のよもやま話1:「猫のしっぽ」について
長崎の猫の特徴は"尾曲がり"です。長崎は尾曲がり猫率が日本一高、日本の尾曲がり猫ルーツの地とも言われています。そして、この尾曲猫がり猫を調査・研究している市民団体「長崎尾曲がりネコ学会」なる団体があり、尾曲がり猫の聖地として「尾曲がり猫神社」が存在し、尾曲がり猫の手作りグッズのお店が町おこしに一役買っているそうです。
尾曲がり猫にはしっぽの形が異なるものがいて、「まがりしっぽ」「短尾」「お団子しっぽ(丸尾)」の3種類がいます。長崎の猫の8割がこの尾曲がり猫というデータもあり、そのかぎしっぽで幸せをひっかけてくるという幸運の猫と言われています。
1990年に京都大学の集団遺伝学の教授が日本全国の猫12,000匹の猫を対象に尾曲がり猫の調査をしました。その結果、長崎県の猫の「尾曲がり率」は全国トップの79.0%。2位は鹿児島県:73.9%、3位は宮崎県:62.7%、4位は熊本県:62.5%の九州4県が上位を独占していました。ちなみに全国平均は41.7%で京都府は15.6%(非常に少ない! もっと多いと思っていましたので、私は意外です)、東京都は52.4%でした。この調査から20年近くたった2009年の「長崎尾曲がりネコ学会」が長崎市中心部の4ヶ所で調べたところ、尾曲がり率は74.7%で、依然、尾曲がり率は高いままのようです。
では、尾曲がり猫はどのようにして出現して長崎で増えたのでしょうか?
「尾曲がり率」の調査をした京都大学の教授はその研究の過程で、尾曲がり猫の原産地が東南アジアで、特にインドネシアに多く生息することを突き止めていました。鎖国を行なっていた江戸時代の長崎は、オランダ貿易の唯一の拠点であった出島が存在し、貿易を担った東インド会社のアジア支店が置かれていたのがインドネシアでした。当時、木造のオランダ船には積み荷を食べたり、船体をかじったりするネズミを駆除するため、猫を一緒に乗せる習慣があったといいます。尾曲がり猫は、江戸時代にインドネシアに生息していた尾曲がり猫の祖先が、日本で唯一海外と貿易していた長崎に船と共にネズミ獲りとして長崎にやって来て上陸し、ここから九州各地を経由して従来の日本猫と交配して増え全国に広がったのだろうと考えられています。
このような経過で、江戸時代後半の江戸で描かれた「猫飼好五十三疋」に尾曲がり猫が多く描かれていることにも合点がいきます。個性的な長崎の尾曲がり猫たちは、鎖国時代の江戸時代の日本と海外の交易の歴史を伝える生き証人なのかもしれませんね。
前のページへ│次のページへ